2015年1月8日木曜日

MBAと社会人学びのレシオ:70/20/10モデルとは?


学校の勉強と社会人の学びの違い


MBAを始めてから最近よく思うことがある。
十代の頃の学校での勉強と
40歳過ぎてあらためて学ぶのとは、えらい違うなと。

ちょっと強引な言い方かもしれないが
十代のころは、空っぽの引き出しの中に
ひたすら知識を詰め込んでいく感じで、
どちらかというとインプット作業が中心だが

社会経験を積んだあとでする学習は、
どちらかというとreflection=ふりかえりと
sense-making=気づきという
分析的な作業が中心になってくる。

MBAではいろんな理論がでてくる。
しかし、理論を知ったからといって
それが活かせるかどうかは、全く別の話である。
理論武装をして、話を難しくしてしまったり、
正しいと証明するための証拠集めに奔走して
ネガティブな情報はすべて
無視してしまうようでは元も子もない。

「そんなことなら、余計な知識なんか入れずに
仕事のなかで学べばいいじゃないか」
MBAがよく無駄だと言われる理由がここにある。

私の答えは、YES&NO!だ。



人生の学びレシオ:70/20/10

面白い統計がある。
アメリカ労働統計局の1993年~1994年のレポート(1998)によると
社会人は、仕事の内容の70%をOJT(on-the-job training)で=
仕事を実際にすることで学んでいるということだ。

我々の学び方についてのリサーチが
いろいろと行われている中で、オンタリオ大学のタフ教授によると
人々の学ぶ機会は、通常次の三つに大きく分けれれるそうだ。

①仕事などを含む日常生活からの学び
②上司、同僚、親や友達からの学び(インフォーマル)
③学校やセミナーなどの教育機関からの学び(フォーマル)

①~③の比率はおおがね70:20:10という比率
ひとりの一生の学びの機会と考えることができると。

実際のところこの比率の確実性を実証するデータは存在しないのだが、
この比率の示唆する内容が、多くの教育関係者、
企業の人材開発担当者に指示され、
多くの企業で新人研修などのプログラムに
取り入れられるなど幅広く使われている。

例えば、新人研修で3か月を計画するとすれば、
10%が座学、20%が上司や先輩による
コーチングやメンターリング、70%がOJTという具合に。



仕事で7割・インフォーマルな2割の意味

なんだ7割は仕事で学んでるんだから、
やっぱりわざわざ学校に行くなんて無駄じゃないか。

と思われるだろうが、逆に言えば、
日常生活の中で他の3割はどうしていますか?ということになる。

先ほどの70:20:10の法則は飽くまでも機会・可能性の話。
本人が学校やセミナーなど専門家からの教示を学びの機会と考えないなら、
たとえ1割としても、それをドブに捨てているわけだ。

ホスピタリティの啓蒙者・元リッツカールトン大阪支店長の高野氏が
自分の給料の5%を自分の新しい開発・成長のために投資しなさいと言っているが、
自分の時間の1割を仕事以外で学習に費やそうとすれば、
相当な努力が必要だということがわかるだろう。

それなら、仕事での7割、
それ以外のインフォーマルな学びの2割はどうだろうか?

仕事で人生の7割も学ぶ機会が得られるのに、
毎日同じ作業を、もうだいぶ前に獲得した知識や経験を
そのまま適用してほぼ無意識のうちに
終わらせていないだろうか?

自分自身で今日一日何を学んだか
振りかえって何かひとつでも得るものが
あっただろうか思い返してもらいたい。

仕事に熟練することは素晴らしいことだが、
社会の技術やシステムは日々変化している。

ドラッカーが言うように
今現在は最新の技術、新しいやり方でも
いずれは必ず陳腐化する。

だから仕事を学びの機会と常に意識して
とらえていなければ、逆に7割もドブに捨てていることになる。

上司や同僚、友人などからのアドバイス、
ネガティブなフィードバックを無視して
「俺流」を突き通すことは、
逆に言えば2割の学ぶ機会を逃してしまっているのでは?

70:20:10のモデルは、一生で学べる機会として
全体像を再認識させてくれる。





学びに無駄は存在するか?

「MBAが無駄だ」という考え方の底辺にある「無駄」というコンセプト。
辞書によれば無駄とは、役に立たない、益のないことだが、

逆にこのような「無駄」から
新しい創造やイノベーションが生まれている。

例えば、有名な話では3Mのポストイット。
研究開発段階で粘着力の弱い接着剤を
つくってしまったのがきっかけで、
接着剤としては「無駄」=役立たずのものを、
張っても剥がせる接着剤として新しい価値を見出して
ポストイットができた。

今や生活の一部であり、ビジネスとしても見逃せなくなった
フェイスブックやツイッターだって、
無くても生活できるし、時間の無駄とも言えないだろうか。

10年前には、誰もやっていなかったし、やる必要もなかった。
見ず知らずの他人とのやり取りが時間の無駄とも思えるスペースが、
「情報共有」や「共同開発」の場として出現した。

過去の無駄は、現在の効用、現在の無駄は、未来のイノベーション。

無駄を無駄と思わない視点が実は「学び」には必要だといえないだろうか。

(次回の記事につづく)


参考文献
Kajewski, K & Madsen, V (2013), DeakinPrime-Demystifying 70:20:10 White Paper, D University, Accessed.