2014年6月19日木曜日

おカネを稼がない自分はナニモノ?


仕事から離れて思った三つめのことは

③「カセギをしない自分はナニモノ?」ということ。

特に男性の皆さんは、見知らぬ人になんと自己紹介するだろうか。
プライベートであっても、名刺を出してくる人はいないだろうか。

主婦であれば、名前で呼ばれるよりも
○○ちゃんのママとか、誰々くんのママといわれることのほうが
多いようにおもう。

医者とか、先生とか、職業で他人を認識していることのほうが多くないだろうか。

私たちもこういった「仕事のラベル」にどっぷり浸かって、慣れてしまっているので
自分自身がラベルそのものだと思い込んでしまっている。

仕事で社員から「社長」とよばれるのはわかるが、ビジネスでもないのに
地域の集まりなどでも「社長」と呼ばれているのをよく見かける。


たまに休みの日、デパートで偶然鉢合わせになった知り合いの顔をみて
どうしても名前が思い出せないことがある。

「うーんと、誰だったっけ?

…あっそうだ!

○○産業の△△さんだ!」

と相手が会社にいるときの姿を思い浮かべて、やっと相手の名前を思い出す。

私も見ず知らずの人に自己紹介するときには、
『「○○会社」で住宅関係の仕事をしています』と必ずいう。

しかし、今回、休職とはいえ仕事を離れた。名刺も社員証もすべて返却。
いきなりラベルを剥がされて、「裸の王様」状態になったわけだ。

自分への問いは、「そして自分には何が残るのか?」だ。

仕事の最終日には何とも思っていなかったが、そのあと会社の備品を返し
メールで本社へ報告したときに

「4月1日づけで、国交省への登録を削除します」

と返信がきたときには、さすがにへこんだ。
「削除」しますが、「抹殺」しますにすら見えた。

「ああ、今あるタイトルは、永久ものではないんだ」

と思った瞬間だった。

そりゃあ、マザーテレサくらいなら、「仕事から離れる」と言うときは
死を意味するのだろうが、我々は、しがないサラリーマンである。

ラベル一枚剥がしたくらいで、死にゃしないが、
どっぷりつかった身には、じわじわと効いてきた。

ドラッカーは彼の講義に中で、「パラレルキャリア」という
キーワードをもとに「仕事」を「カセギ」だけの意味合いとして使わずに
人生を豊かにするための社会活動と位置づけて、

これからは二足のわらじ、三足のわらじが
自分をマネジメントしていくうえで必要になってくると話している。

主夫になった今、彼が言いたいのは、企業が供給してくれる仕事だけの
一元的なうすっぺらなラベルに自分自身が呑み込まれてしまわないよう気をつけなさいよ!
ということだとおもう。

たとえ自営していたとしてもカセギだけでは、一元的なことにはかわりない。

だからといって、カセギの仕事を軽視しているわけでも、否定しているわけでもない。


病児保育のNPOを若くして立ち上げた若き社会起業家の駒崎弘樹さんの
「社会を変えるお金の使い方」という本の中で、


江戸時代の民衆が考える仕事のなかに
「カセギ」と「ツトメ」があるという。
「カセギ」は生活のため、「ツトメ」は地域社会のための「仕事」ということだ。

「パラレルキャリア」、「カセギ」と「ツトメ」。

仕事から離れて、「仕事」と自分の関係について、あらためて考えさせられる。

そして、会社ラベルを引っぺがされた「無印オジサン」は、何処へいくのか!?

ちょうど人生の折り返し地点。

40歳の男性=オジサンには仕事から少し距離を置いて
「自分には何が残るのか?」を真剣に考えてみる良い時期なのかもしれない。

世の家族は、ふりかえりと再スタートの時間をぜひ
オジサンたちに与えていただきたいと切に願う。