2014年5月7日水曜日

40歳になっておもうこと。

初節句、入学式、卒業式、そして就職と「はじめて」のことは、なんと輝かしく美しいことか!
 
それは、20代までの話である。
30代後半になれば、胴回りのベルトに余分な肉が「初乗っかり」。
初白髪で輝いてはいても「美しい」とは言われず、
「オジサン」というレッテルを張られて「初」不名誉に陥れられるのも、この頃である。

数年前にあるテレビ番組で、「オジサンは何歳から、オジサンなのか?」
という問いに女子高校生が、「40くらいじゃないの?」と何の思慮もなく言っていた。

その時は、何気なく聞き流していたが、当の40になってみると、
彼女たちのコトバはグサリと胸に突き刺さる。
それどころか、最近患った腰痛の腰骨までにも響いてくる有様…

いつまでも若い気持ちでいたいが、
年やら重力やらには逆らえず、外見や身体の変化に精神が適応しきれない。
そんななんとなく割り切れない「お年頃」が「オジサン」なのだと思う。

 

作家の五木寛之さんは、著書「人間の覚悟」の序章で
「そろそろ覚悟を決めなければならない」と言った。

 

いよいよこの辺で覚悟するしかないな、と諦める覚悟がさだまってきたのである。
・・・では、「諦める」ことで何が見えてくるのか。・・・絶望も希望もともに人間の期待感である。その二つから解き放たれた目だけが、「明らかに究める」力をもつのだ。

 

そうは言っても、である。
凡人にとっては、そう簡単に諦めることも、覚悟もできない。
絶望も希望も感じながら、生きていくしかない。

五木さんも「諦めきれぬと、諦める」しかないと言っている。
ただ、10代、20代のように「なんでもやってやろう!」とか「やって砕けろ!」
というのとは違う気がする。

五木さんのように「人間の覚悟」を決めるまではいかずとも、
「オジサンとしての覚悟」はそろそろ決めなければならない。

 

どんな人でも人生で登りつめたら、今度は降りていかねばならない。
日本人男性の平均寿命がちょうど80歳。
その半分、ちょうど折り返し地点が40歳である

五木さんの「覚悟」は、事実を真正面から受け止めて
「明らかに究める」努力をすることで、
「人間とは何か?」を問うている。

 

一方、私はといえば、子どものいない「おふたりさま」で
「オヤジ」だとか「オジサン」と呼ばれる筋合いは全くないと思いながらも、
まわりの同世代と同じ年齢というだけで
「オジサン化」されてしまう不条理と戦いながら、
五木さんの言う通り、そろそろ下山する覚悟も必要なのかなと
彼の言うことも一理あるなと今では半分納得できる。

 

五木さんの考えが好きなのは、大学生の頃、
「生きるとは何か」を真剣に考えて、学外のいろんな人びとと交流するなかで
茨城県八郷に移り住んで有機農業を営んでいる
筧次郎さんに親鸞聖人のことを教えてもらったからである。

筧さんは、百姓になる前は大学で哲学を教えていた。
私にとっては、大切なメンターである。
五木さんの「人間の覚悟」にも、親鸞聖人の考えが出てくる。
「往相還相(おうそうげんそう)」。

「浄土にいった人が、再びこの地にもどって苦しむ人びとを助ける」
という考え方らしいが、私には、五木さんの解釈のほうがしっくり来る。

つまり、これまでの人生をいっぺん捨てる。 
そして新しい歓びに満ちた人生を再スタートする。
いったんリセットして生まれかわったように
生き生きした人生を獲得することが「往相還相」の本当の意味だろう。
「リセット」、そして「人生の再スタート」。
40歳、人生の折り返しとしては、悪くない言い回しではないか。

 

2013年の3月。40回目の「嬉しくない」誕生日を週末に控えた前日。

毎週のように長野から東京のオフィスへ出張している妻が、
東京からの帰りに豪華なフルーツ入りロールケーキを買ってきてくれた。

「三十代最後の日に敬意を表して3本にしましたよ。」

ロールケーキに灯された三本のローソク。
いつものバースデーソングのあと、
私は、ふーっと一息。

「願いごとはしたの?」

「うん、したよ!」

 

「ふたりの健康」と「人生の再スタート」を誓いながら・・・

いつものように、分厚く切ってもらったロールケーキをペロッと平らげ、
40直前の胴回りに新たな「メタボ肉」を添える「覚悟」をしたのである。

 

【引用:五木寛之「人間の覚悟」新潮新書 2008】
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